静かな夜にワインとビスマルクを

静かな夜に黙々と考えたことを綴ります。政治とかアフリカとか趣味とか…。

家出のススメ

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最近、「あたし変わりたいんです。」という女性の相談を受けた。現在はOLであるというこの女性は聞けば生まれてこのかた実家から出たことがないという。


その女性には「家を出るべきだ」と自立することをオススメしてみた。


家を出るというのは、親の価値観からの卒業を意味する。


知らず知らずのうちに我々は親というものから価値観についての影響を受けたりする。いい意味でも悪い意味でもである。


よく昼でもヘッドライトを点灯している車があるが、筆者は基本的に昼、ライトは付けない。よくよく考えれば昼にライトを付ける車などみっともないとよく父が言っていた価値観が刷り込まれているからだろう。車を運転する時などトンネルを出るとすぐに消すようにしている。


実家暮らしが長いと親の価値観が当然化してくる。親の価値観が絶対化されてくるのだ。


しかし、これは非常に気持ちの悪いことでもある。親の世代が子供だった頃などかなり昔だ。その親の価値観が現代にまかり通ってしまうと考えてはいけない。終身雇用、右肩上がりの成長、郵便局に貯金することが当たり前だった昔は今とは違う。


転職は当たり前だし、貯金する以外にも株式投資などして自己資本を増やしていくことは今や誰でもやっている。


先日も東大を出てNPOをやっている友人と話をしたが、医者である親には東大まで出たのに何をやっているのかと相手にもされないらしい。この親の反応にも頷けるという方は親の世代の価値感と親和性が非常に高いと思う。


親の言うことの対局をいつも行っていた筆者は、この友人を見ていて非常にいいなぁと思うのだが、そうでない人もまだまだ多いらしい。東大を出たんだから外資などのいいところに就職して稼ぐなど学歴を最大限利用するというのも親の世代の価値観だろう。


親の世代の価値観から卒業することこそが日本の停滞感を打破する一歩だろう。これまでのやり方が通用しなくなった世の中で親の価値観に基づいて何かを始めたところでやがて壁にぶち当たる。親の価値観からの脱皮こそが自分自身に変革をもたらし、世の中に変革をもたらす最低条件なのではないかとひっそり思っている。

 

オリンピックと地方分権

 

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日本はこれから人口が縮小していく。2050年には人口の4割が65歳以上になるといわれ、高齢化とともに生産人口が縮減していく。

 

そんな中、2020年の東京オリンピックが唯一の明るい話題と言いたいところだがこのオリンピックも怪しい。

 

オリンピックが決まった途端、試算とは打って変わって建設費が跳ね上がるスタジアムなど税金を食い物にするような動きも目立つ。この国の財政状況は凄まじいペースで悪化の一途を辿っておりこうした贅沢も許容されなくなる日は近い。こうした贅沢を続けて自己破産をするのか、倹約して国家としての持続性を図るのか選択肢は決して多くない。


このオリンピックの影響は国庫の財政状況への影響だけではない。

 

2020年までに建設ラッシュなどがあいまって首都圏の雇用者数は増加するだろう。地方部では慢性的に雇用状況が悪化しており地方で職にあぶれた人間は首都圏に大挙して押し寄せることになる。

 

しかし、オリンピックが終わった2020年以降こうした首都圏を中心とする雇用バブルは弾ける。日本人は勤勉だから仕事があるうちはどんな通勤環境、生活環境でも我慢して生活するだろう。仕事が一度無くなった後、東京に住み続ける可能性は低い。


現在ですら土日の昼の山手線などは乗れたものではないし、通勤ラッシュひとつとっても首都圏の受容可能な人口キャパシティーは超えてしまっているとみるべきだろう。


そうすると2020年後には首都圏に集まった労働人口が仕事を求めて漂流することになる。この漂流する労働人口は良好な生活環境と雇用のあるところに集まるとみるのが妥当だろう。


そうした時、首都圏以外の自治体で仕事と住みやすさのあるところがこの労働人口を獲得することになる。


地方部は現在でも「人財」の獲得が急務な状況であることから、「人財」の集まる地方とそうでない地方によって勝ち負けが如実に表れてしまうのは明らかだ。


地方自治体にとっては2020年以降、住みやすさと雇用が確保できるかで生き残りが決まってくると筆者は考えている。


そうはいっても地方に住みやすさはあっても、雇用を創出するのは困難だ。これまでも地方における雇用の創出に政府が取り組んできたがなかなか成果は上がっていない。

 

そこで筆者が注目するのはテレワークである。


このテレワーク、ITインフラの整備によってどこでも仕事ができるという仕組みで政府も昨年の6月に発表した日本再興戦略でも推進すると言及している。


大企業を巻き込んでテレワークを推進すれば、東京での仕事を日本の各地方都市にいながら行うことができるようになる。そもそも東京にいなければできない仕事など最近は少ない。


筆者もカナダに駐在していたことがあったが、カナダでも東京の業務を行うこともあった。IT環境次第で、もはや国境を越えて仕事が選択できる時代なのだ。


大企業にとっても首都圏に住む社員には都市手当てを支給しているだろうからこのコストを抑えることができる。


従業員も都市手当て分は収入は減ることになるが、その分物価の安い日本の地方都市で生活すれば所得水準を下げることなく生活することができる。むしろ地方都市だと朝から隣のおっさんと吊革の取り合いで揉めることなどない。はるかに住みやすい環境で働くことができストレスなども軽減される。


さらに地方都市にとっても首都圏の所得水準の人たちが地方にお金を落としていくことになるので経済が活性化される。


このテレワークを通じた職の分散こそが地方分権の一里塚になるのではないかと筆者は考えている。


地方に人を集め、地方のポテンシャルを最大限に引き出し、新しい試みを地方から創出すること。まずは地方に「人財」が集まることなし真の地方分権などはあり得ないだろう。


今からの取り組みが2020年以降の自治体の命運を決めると考え、地方への移住を検討している人もおられるのではないだろうか。

義務教育は今日を超えられるか

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日本には昭和に戻りたいと思ったら昭和に戻れる場所がある。池袋のナムコナンジャタウンではない。もっと身近なところに存在している。


学校だ。


小学校でも中学校でもいい。日本の義務教育が行われる場所は昭和の姿をそのままとどめている。懐かしいあの鉄パイプに木製の机。著名な海外の音楽家の肖像画が並ぶ音楽室。僕らの両親の時代、ヘタをしたら祖父祖母の時代から一行に変わっていないかもしれない。


懐かしいなぁという昭和の余韻に浸る分にはよい。


しかし、この余韻は学校という場所がそもそも昭和という前時代から変わっていないことを意味する。


児童を前に1人の先生が黒板に板書して授業を進めていく。体育では皆が同じ科目をすることで協調性を養う。


全ては昭和というより富国強兵、殖産興業といった明治時代の人材育成システムから変わっていない。義務教育の基本コンセプトはソルジャーを養成することなのだ。従来の教育のテーマは「管理すること」であり、管理し易い人間を効率的に量産することであると言い換えても言いかも知れない。義務教育の源流は英国の植民地における人材育成にあるとされその源流を考えても「管理すること」がテーマだということが納得いただけるだろう。


日本人は横並び意識が顕著とか、金太郎飴が量産されているという指摘は多いが大きな原因はこの前時代を脱却できていない義務教育にあるだろう。


この義務教育を変えていかない限り、指示待ち族が大量に量産されていく。


現在では人工知能は自身で学びを繰り返すことができるようになっており、東大卒程度の知能の開発がすでに成功し実用段階らしい。とすると人間の仕事が人工知能であるコンピューターに獲られる時代も近いことを意味する。何しろコンピューターは就業時間内にサボらないし、電源を入れている限り24時間働き続ける。しかもその知能たるや東大卒レベルときている。もはや人間が事務作業を行う必要はない。


こうした時代背景を考えれば、人間の役割を考えていく必要がある。


明らかに人間にはコンピューターには創り出すことができない創造性が求められている。いまや創造主は創造物に能力を凌駕されつつある。従って、創造主はその創造性によって自らの創造主としての存立基盤を確立するしかないということだ。


こうした創造性を確立する上で非常に興味深い教育がサドベリースクールだ。


このサドベリースクールは米国で始まった仕組みだが、このスクールには基本的に生徒を管理するという発想がない。そもそもカリキュラムもない。児童は何をやってもいい、何でもありな学校なのだ。


生徒それぞれが問題意識を持つことでそこから5教科のような科目が派生していく。原子力をテーマにした児童もいたようで、その児童は原子力を調べる上でぶつかる様々な数式や読めない漢字をネットを駆使して次々と解決していくのだそうだ。原子力を幹にしてそれに必要な知識が枝葉として伸びていくという構図だ。


こうした問題意識に根付いて学問を進めていく芽が少しづつ出てきていることで5教科をツールとして使い新しいモノを創造していく、解決して行くチカラが育っていることに幾ばくかの安心も感じた。しかし、サドベリースクールはまだまだメジャーな取り組みとは言えずこれからどのように普及してゆくのか行方が注目される。


創造主が創造主でいられるのか。人類は神との対峙以前に自分たちが創造してきたものに凌駕されるか否かという時代を生きている。

ポスト東京オリンピックの悲劇〜地方格差の視点から〜

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2020年に東京オリンピックが開催される。

 

オリンピックに沸く建設業界とか景気回復だとか比較的ポジティブな情報が多い気がしている。筆者は以前にもこの場で、地政学的に東京にオリンピックを誘致することは東アジアにおける安全保障にとって重要な意味を持つと指摘した。

 

しかし、改めて国内の状況を考えてみると悲劇的なシナリオもありうるという結論に至った。

 

世の中の意見がポジティブなものばかりだと、つい違う視点からと天邪鬼な筆者は考えてしまうので天邪鬼な問題提起をしてみたい。

 

歴史的なイベントの評価というのは、ついイベント単体に焦点が当てられがちだが前後の評価もあって初めて成り立つものだろう。あえて東京オリンピックの終わった後を考えてみようと思う。

 

東京オリンピックが行われる2020年までに建設業界に莫大な経済効果があることは間違いない。しかし、この建設業界2008年のリーマンショックで受注が激減し、新規の採用を控えてきたため人材難が進行している。とび職や左官屋も慢性的に人材不足を抱えており建設業界全体は猫の手も借りたい状況だ。

 

一方で、東京以外の地方部では疲弊が著しい。どこの道府県でも県庁所在地に人口や仕事が集中し、いわゆる田舎では働く口がない。先日は青森出身の青年に話を聞いたが青森などでも青森市に出ないと仕事にならないという。こうして人口の空洞化が日本列島の末端から進んでいる。

 

いずれ道府県などの地方では県庁所在地という心臓部以外では人口的にも経済的にも壊死してしまう可能性が高い。この状況は地方対東京という視点で考えても大いに当てはまる。

 

県庁所在地で職を探すより東京で職を探した方が可能性は高いし、給料も高い。前述の青森の最低賃金は665円(平成25年)であり、東京では869円だ(平成25年)。

 

実際に県庁所在地からも東京への人材の流出が進んでいる。地方の末端神経が壊死し、更には手足まで壊死しかけているというのが現在の日本の状況である。ご存知の通り、心臓だけでは生きていくことはできない。明治以来の中央集権を進めてきた結果が、この状態である。現在、地方交付税交付金などで自治体間の財源を調整しているが、このままいけば自治体に対する交付税負担の全体量がさらに増加し心臓への負担も増える可能性は十分にある。

 

現在の日本はもはや末端が壊死しかけ、心臓にも重い疾患を持つ重篤患者だ。

 

東京オリンピックはこの環境に更なる拍車をかける可能性は高い。地方部で職がない人間は東京に職を求めて集まるだろう。かつて1964年のオリンピック景気で人が集まったような状況が再来するだろう。

 

2020年までは東京で職は増えるだろうし、首都圏においては最低賃金も上がるかもしれない。

 

しかし、問題はオリンピックが去った後である。

 

当然、オリンピックの一時的な雇用で雇われた人たちの整理が進むことになる。東京に無職の人があふれ、治安は悪化するかも知れない。住居も不足が出るだろうし、交通インフラも十分なキャパシティーで対応できるか甚だ疑問だ。

 

現在でさえ、土日の山手線など乗れたものではない。東京はすでに飽和している。これ以上人が増えることに東京のキャパシティーは対応できないのは明らかだ。高齢化の進む西東京の人口がさらに増え、都心部も更なる高層化で対応するのだろうか。

 

「オリンピックが去った後の人の流れがどうなるのか。」

 

これがオリンピック以上の問題だといってよい。オリンピックは平和の祭典だ。平時の時にこそ、国の総力が問われる。人口の調整や都市部と地方との格差など今こそ真剣に議論する時がきていると考えるのは筆者だけではないだろう。

 

8億円事件を考える

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8億円事件で誰が得をしたのか。

 

8億円事件とは言わずもがな、みんなの党渡辺代表がDHC会長から8億円の資金提供を受けていたとされる事件だ。

 

政治における権力闘争や外交上の重要問題が起きた時には「誰が得をしたのか」がまず一番最初に問われる。得をする当事者がネタ元であったり、仕掛け人であったりすることが往々にしてあるからだ。

 

かつてのムネオ事件でもムネオこと鈴木宗男氏を失脚させるために共産党などの野党に「内部でしか知り得ない」情報が流れた。鈴木氏と領土問題を進め、自身も実刑判決を受けた元外交官の佐藤優氏は著書の中でこれらの内部情報は鈴木氏の失脚を狙って外務省から流されたものであるという見立てを披露している。

 

これは鈴木氏の失脚で外務省が「得をした」からである。

 

今回の8億円事件は本人の告発から見てもネタ元は本人だが、本人にネタを開示させることを促したミスターXが必ずいる。このミスターXは渡辺代表に近い人物か近かった人物ということになると思うが、このミスターXが何を狙ったかである。

 

みんなの党は自民党との政策協力を進めていたとされ、仮に自民党とみんなの党の連立が成立してしまえば現在の連立与党である公明党にとっては存在感が薄れてしまうためみんなの党と自民党の連立が進むことにブレーキが欲しかったのも事実だろう。

 

さらにこの問題が発覚した時期も注目に値する。この告発記事が出たのは3月の末。増税の直前だった。自民党にとっては4月1日の増税で国民感情が反自民党に流れるのニュースが欲しかったということもできる。

 

渡辺氏率いるみんなの党が自滅することで「得をする」当事者は他にもいる。みんなの党から離脱した結いの党である。結いの党は会派問題でみんなの党と揉めた経験もあり、今後のスムーズな政治活動にはみんなの党との関係を完全に精算する必要があった。

 

こうしてみると今回も8億円事件で少なくない関係者が得をしたことになる。様々あ思惑が一致した時、8億円事件が火を噴いた。情報には必ず意図があるということに身震いしたのは筆者だけではないはずだ。

 

 

西でロシアが微笑めば…

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前回この場でウクライナが再核武装し、核技術輸出を主たる産業とし核の軍事同盟の盟主となれば東欧にも応じる国が出てくる可能性を指摘した。

 

東欧で歴史的に常に外的の侵入に頭を痛めてきたのはポーランド、チェコ、スロバキア、バルト三国、ハンガリー、ベラルーシなど東欧のほとんどの国が該当する。これらの東欧諸国は常に強い軍隊を持つことができず、強い軍隊を持つ大国が不安定化することで自国の運命も翻弄されてきた。

 

東欧の一部はEUに加盟したが、加盟したことで自衛力が高まったわけではない。EUに加盟することでEU諸国から攻撃を受けることはなくなったがロシアをはじめ東方には常に火種にさらされている。

 

大陸国家の独特の危機感は自国を守るのは自国でしかないというものではなかったか。だとすれば他国に頼らない自衛力は今でも生々しいまでの課題なはずだ。

 

一方のロシアにとってウクライナは生命線であり、ウクライナを失うことはヨーロッパに対するパイプラインなどのアクセスも失うことを意味する。

 

ウクライナを盟主とする東欧核武装軍事同盟が結成されてしまうと、ロシアは完全にヨーロッパへのアクセスを失い天然ガスなどのヨーロッパに対する販売が出来なくなる。現在、ロシアの原油・天然ガスのほとんどがヨーロッパに出荷・販売されていることを考えればこの不測の事態で最も不利な立場に追い込まれるのはロシアということになる。

 

これまではガス料金の不払いを理由にパイプラインのガス供給を停止したりパイプラインの支配権を持っていたロシアだが、立場を逆手に支配権をウクライナに奪われるという事態も考えられるだろう。

 

核武装したとなればロシアも下手には手が出せないし、核兵器使用の可能性もあることから国際機関や欧米諸国からの圧力が加わることも考えられる。そうなればロシアの復権を快く思わない米国は国際機関に果敢に圧力をかけ生かさず殺さずの状態にロシアを追い込むだろう。ウクライナが核武装した時点で既に米露の闘争を超えた国際問題に発展するため欧米がロシアの生殺与奪の権利を持つことになる。

 

西方においてロシアはますます孤立を深め、ロシアの東方シフトが加速する可能性がある。

 

近づくのは大国である中国と日本だ。特に、対米国などの共通利益が多い中国とは最接近する可能性がある。ロシアと向き合う上で考えなければならないのは3つの顔を持っているということである。ロシアは西の顔(ヨーロッパとしての顔)、中央アジアの顔、東の顔(アジアとしての顔)を持っており、東が西に西が東に影響を及ぼしてきた歴史であった。

 

ロシア革命の要因の1つが日本の明石機関によるものであったことは今では広く知られているが、西で起こったロシアの騒乱が極東での戦争にも波及したわけだ。連合艦隊の活躍もあって日本は物理的にも心理的にもロシアを相手に勝利を収めることに成功した。

 

今回も西のウクライナ問題が東ロシアの極東情勢に大きな影響を及ぼすことは十分考えられる。東でロシアが中国に接近した場合、中国がさらに極東で野放図に動き回ることになるだろう。中国の対日本だけでなく対東南アジアの政策についてもロシアが追認する可能性が高い。

 

日本にとってロシアは中国の抑止力として極東で機能してもらうのがベストと筆者は考えているので日本にとっては必ずしも好ましい環境にはならないだろう。中国もロシアに対して丸腰になることはないが、ロシア以外の極東情勢に注力することが可能になる。

 

ロシアは西で微笑めば東で強面になり、東で泣けば西で微笑む(我が国にとっては微笑みにならないが)。外交で顔色伺いは軽蔑されることかもしれないが、ロシアの顔色は日本の顔色も決めることを肝に銘じておかなければと感じたのは筆者だけではないだろう。

ウクライナはまだ滅びず

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ご存知の方も多いと思うが、ウクライナで動乱が起きた時国籍不明の部隊が展開し空港か主要施設を制圧した。覆面をした男たちが突如として軍用トラックから降りてくる様はテレビ越しに見ていても恐ろしいものがあった。

 

「欧州の穀倉地帯」という表記は地理の教科書で見かけたという方は多いと思うがあれはウクライナのことを指す。さらには鉄鉱石や石炭も産出される資源国でもある。

 

しかし、もう一つ忘れてはならないものがある。

 

核である。

 

専門家の間では覆面の部隊の正体はロシア軍の治安部隊という見方が濃厚のようだが、実はこの部隊が早期に抑えた主要施設の中に核関連施設が含まれていた。ウクライナは旧ソ連時代、核の研究施設が集中した核のメッカだ。史上最悪の原発事故の1つチェルノブイリもこのウクライナの北部に位置する。こうした平和利用の核だけではなく約5,000発の核弾頭が、旧ソ連崩壊後ウクライナに譲渡され1991年の時点では世界第3位の核保有国だったことはあまり知られていない。

 

この旧ソ連から譲渡された核兵器は、その後1996年までに自主的に放棄またはロシアに移管し現在では核拡散防止条約(NPT)の締結国になっているため核兵器は保有していない。しかし、核の製造技術を有し、更には運用できる国であることに現在でも変わりはない。

 

こうした側面を見てみるとウクライナの情勢が単に欧州の政争ではなく、世界を巻き込んだ核管理問題であったことも明らかになってくる。

 

覆面の治安部隊が仮にロシアだとするなら、早期に治安部隊を派遣し核関連施設を制圧したことは世界に核の拡散を防ぐことであり評価すべき動きなのかも知れない。

 

ウクライナの混乱に乗じて核関連施設から核の技術がテロ組織に拡散すれば人類に未曾有の悲劇を生むことにつながりかねない。もう1つの恐れるべきシナリオはウクライナが核再武装に踏み切ることである。今回、ヨーロッパ連合(EU)はウクライナの騒乱に静観を決め込んだことでウクライナ国民からの猜疑心に火をつけた。国民感情としてはロシアもEUも信じられないという思いだろう。ロシアでもEUでもなく自身で身を守るという判断として核武装は十分ありうる。現在はロシアの影響下で動乱が収まりつつあるようだが予断は許さない。

 

ウクライナが核武装に踏み切ればその他の東欧諸国もこぞって手を挙げる可能性もるだろう。核技術の輸出を通じてウクライナを盟主とする同盟国が中欧州に起こり欧州情勢が一気に不安定化する可能性も全くゼロではない。

 

米ロが足の引っ張り合いをしているように見える現状で、目下ウクライナ自身が何を考えているのか注視していかなければ外交政策を誤ることになるだろう。今こそヒロシマ、フクシマと2度の被爆を乗り越えてきた日本ができるアプローチもあるはずだ。

 

タイトルの「ウクライナは滅びず」というのはウクライナの国歌の名称なのだが、核技術を手中にしている限りウクライナは滅びることはない。しかし、核技術そのものが取り返しのつかない滅びの技術であることをウクライナ人自身も我々日本人も認識しなければならないだろう。