静かな夜にワインとビスマルクを

静かな夜に黙々と考えたことを綴ります。政治とかアフリカとか趣味とか…。

会社員はどこまで会社員か〜土日は休みのアタリマエを考える〜

筆者は土日もメールの対応をしろと言われて論争を巻き起こしたことがある。筆者は土日休みの会社に入ったはずであり、募集要項にも土日休みと書いてあった。労働組合が雇用者と結んでいる労働協定にも明確に違反する問題だ。

 

そもそも、筆者が土日に何をしていようが法に触れることをして会社に損害を与えたわけでもない。「わたし」という個人が優先される時間なのだから、そこで会社員であるということが前面に出てくるのがおかしいと伝えた。

 

ここまで自分で話した時、過去に同じような経験をしたことにふと気付いた。

 

筆者は大学1年生時に応援部という大学最恐の組織集団に1年間所属していた。

 

この組織は大学生であるより以前に部員であることを要求してくる組織だった。(今はどうなのか知らないのであくまでも当時の話だ。) 

 

簡単に言えば、授業よりも部活動を優先せよということである。

これは筋論からいえば本末転倒で、その大学に入れたからその応援部に入れたのであり、部活に所属したからその大学に入学できたわけではない。大学生であることが部活に優先するといえる。

 

これと似たような状況が社会では起きているのではないか。

 

そもそも「あなた」という個人がいて、会社があるのだ。会社があるから「あなた」という個人がいるのではない。もちろん、会社に所属することを選んだのは「あなた」かもしれないが、なにも24時間365日会社員であることを了承して入ったわけではなかろう。極論を言えば、会社にいないあなたは会社員ではない。その時間は「あなた」を優先してよいはずだ。

 

会社員になった瞬間、「あなた」と「会社員であるあなた」が並立するわけだがあくまでも優先順位は「あなた」でなければならないだろう。「あなた」が会社を決めたのであり、「あなた」の意思で会社に行っているのだから。

 

とはいえ、「土日もメールの対応してくれ」と言われた時、あなたはどう考えるだろうか。「何考えてんだ、土日くらい好きに使わせろ」こう思ったあなた。

 

ローンのため、生活のため仕方なくサラリーマンをやってはいないだろうか。

 

今一度、自分が何をしたかったのか自分自身に問うてみることを強くおすすめしたい。サラリーマン適性のなかった筆者はそう思うのである。