静かな夜にワインとビスマルクを

静かな夜に黙々と考えたことを綴ります。政治とかアフリカとか趣味とか…。

「若い力」に頼る候補者の落とし穴

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先日とある女性が外資系企業のCEOに出したというメールがインターネット上で話題に出た。

 

「私は若いし美人だ。年収4,000万円の人と結婚するにはどうしたらいいのか?」というもの。

 

このメールを受けたCEOはこう答える。

 

「あなたの美貌にも若さにも投資する価値はない。なぜならいずれ失われてしまう。いくら若くて美人でもそんなものはお金のある人ならいくらでもレンタルで代用できる」と。

 

レンタルとはすごいことを言ったものだと思うが、同じような状況は政治でも起きている。

 

どんな選挙でも選挙区に1人は「若い力で!」というキャッチフレーズを掲げた若い候補者が立つ。ここでいう「若い」というのは、高齢化が進む中で若者の声を代弁する人とか新鮮な思考でとか、体力があるという意味だろう。確かに高齢化の進む中、 議会内で若者の比率を一定数維持することは重要だと思う。

 

しかし、正直うんざりだ。若いからなんだというのだ。

 

若いというのは十分条件であって、必要条件ではない。重要なのはこれまで何をしてきて、これから何をしようとしているのかというその中身だ。若さはいずれ失われる。筆者も若い世代に分類されるが、若さをウリにしている候補には一切期待していない。申し訳ないが「若いです!だから政治家になりたいです!」という若者の何を見ればいいというのか。

 

強いて言うなら期待値で評価する他ない。言葉は悪いが馬鹿丸出しである。

 

有権者にしてみればこれから税金を投資するわけだ。投資に見合う人間かどうかを評価する基準に若さは入らないだろう。ただ残念ながら小さな地方の選挙区に行けば、若さをウリに当選してしまうこともある。

 

年齢を声高に叫ぶ政治を捨て、中身で勝負する政治へ。年齢に甘えることなく、いい意味での若さで勝負する 政治が必要だと痛感している。