静かな夜にワインとビスマルクを

静かな夜に黙々と考えたことを綴ります。政治とかアフリカとか趣味とか…。

食卓からグローバル化を占う

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夕暮れ時たまにスーパーのレジ行列に並ぶことがある。

 

最近はどこのスーパーでも筆者の好きなミモレットというチーズが手に入るようになったのでこのチーズ目当てに並ぶことが多い。行列に並んでいる間、周りのカゴにはどんなものが入っているのか見るのが、アフリカ料理研究家でもある筆者の楽しみなのだが、カゴの中身にはがっかりさせられることが多い。

 

特に目につくのがお惣菜の山だ。

 

一人暮らしの男性だけではなく、子供連れの主婦がお惣菜の山を抱えていることが少なくない。

 

私ごとになるが筆者の母親も料理はドがつくほど下手だったが、不味いなりに家庭の味があったものだ。今でもたまに実家に帰れば母のぶきっちょな料理を食べて懐かしいやら、口が受け付けないやらで複雑な喜びを感じるものだ。ああ実家に帰ってきたのだなぁという一種の帰属心が芽生える。

 

ところが家に帰ってお惣菜ばかりを食べた子は家庭の味を知らずに育つ。家庭の味は自身のアイデンティティでもあるので家庭への帰属意識が育たない気がするのだ。家庭への帰属意識が育たない子供に地域コミュニティへの帰属意識など育つはずもなく、ましてや国家への帰属心など育つはずがない。

 

家庭からおふくろの味が消えた時、国家への帰属心は薄らぐのではないだろうか。

 

昨今、外資の参入の盛んなアフリカでは外食による伝統食の破壊が問題になっている。日清食品が進出するケニアではお手軽なチキンラーメンが現地の伝統的な家庭の味を奪い食卓でのシェアを伸ばしている。2012年時点で即席麺市場は世界的に1,000億食を突破しており、アフリカなどの新興国の所得水準の向上で更なる市場拡大が期待されている。特にケニアでは輸入品である即席麺が浸透しつつあり、5年後には年間2億食を突破すると見られている。価格的にも30~40ケニアシリング(約35~47円)であり、調理法も簡単なことから目下着々とシェア拡大中だ。

 

家庭からおふくろの味が消えた時、ケニア人の国家への帰属意識はどう変化するのか今後の動向には目が離せない。

 

食卓の全てがファーストフードやお惣菜になった時、人類は本当の意味でグローバルになれるんだろうか、そういうグローバル化は果たして正しいのだろうか。

 

フラット化しているといわれる世界の中でも自身のアイデンティティーが消えることはない。我々は世界に出れば日本人として見られる。そうした時、自分たちの国の料理も語れない人間が、アイデンティティー不在の人が世界で必要とされるだろうか。

 

日本の食卓から日本の行く末を考えた夕暮れ時であった。