静かな夜にワインとビスマルクを

静かな夜に黙々と考えたことを綴ります。政治とかアフリカとか趣味とか…。

アフリカで帝国主義が継続しているこれだけのワケ

一般的に植民地支配というのは現在では行われていないとされる。教科書の上でしか見ない言葉だと考えておられる読者も多いと思う。

 

f:id:masayukisato:20150817124416j:plain

*写真は多くの黒人奴隷がヨーロッパやアメリカに送られた場所西アフリカベナン共和国の帰らずの門。

 

筆者はアフリカとの付き合いはいよいよ10年を越え、現在は縁あってアフリカにある会社経営に参画しているのだがアフリカでは「植民地主義の終焉」という言葉こそ教科書でしかお目にかかれない言葉である。

 

そもそも植民地主義のルーツは16世紀半ばの重商主義にさかのぼれる。

 

この考え方は「貿易を通じて蓄積した金を富とする」という考え方であり、この重商主義が列強による植民地争奪を後押ししたといっても過言ではない。

 

結果、列強各国は「金」を得やすい工業振興策を優先し、農業が次第に置き去りにされていくこととなる。

 

工業振興策を優先した列強の工業資源供給地として期待されたのが植民地であった。植民地は工業資源の供給地としての性格もさることながら、工業振興策で後退した欧米列強の農業生産力も補うための役割も期待された。

 

こうした背景からアフリカをはじめとする植民地ではそれまで存在していた経済からモノカルチャー経済へと再編成が行われ「宗主国に資源を貢ぐ」という体制が構築されていった。

 

そして1960年代。

 

多くのアフリカの国々が独立を果たすことになるのだが、宗主国がどこの国かでその明暗は分かれたと言っても過言ではない。

 

筆者が経営に参画する会社は西アフリカにあるのだが、西アフリカの多くの国はフランスの植民地を経験している。

 

公用語はいまだにフランス語を使用し、通貨はCFAフラン(セーファーフラン)といって植民地時代と同じ通貨単位だ。(2015年現在で西アフリカ、中部アフリカの14カ国で流通している。)

 

さらには、西アフリカ諸国の多くでフランス軍がいまだに駐留しているという現実もある。西アフリカではニジェール、マリ、コートジボワール、セネガル、モーリタニア等に駐屯している。)

 

政府の顧問にフランス人がつくということも珍しい話ではないし、そもそもこのCFAフランの語源自体"Colonies françaises d'Afrique"(フランスのアフリカ植民地)の意でありそのフランスの執念が伺える。

 

アフリカで植民地が継続しているという理由はこれだけではない。

 

最も象徴的なのは、アフリカ諸国が独立直後からフランスに対して支払っている植民地税である。

 

この事実はアフリカ出身のMawuna Remarque KOUTONINという平和活動家が明らかにした。

 

この植民地税は植民地時代にフランスが建設したインフラに対して支払うというものであり、さらにはベナン、ブルキナファソ、ギニアビサウ、アイボリーコースト、マリ、ニジェールなど14カ国がフランスの中央銀行に自国の預金を預けることを強要されている。

 

その総額については明らかになっていないが独立後も悲惨な搾取が続く。

 

なぜフランスはこんな搾取を続けるのか。

 

フランス第22代大統領ジャック・シラクはこんな言葉を残している。

 

 

“Without Africa, France will slide down into the rank of a third [world] power”

 

 

 

植民地はアフリカで今も続く現実であることを忘れてはならない。