静かな夜にワインとビスマルクを

静かな夜に黙々と考えたことを綴ります。政治とかアフリカとか趣味とか…。

続けられる失敗の戦後

日本人は忘れっぽい民族だとよく言われる。

 

近いところでは東日本大震災の原発事故、さらに国家的な危機まで遡れば太平洋戦争の敗北が挙げられるだろう。

 

昨今の日本の世相、特にサラリーマン社会を見ているとこれらの教訓から何かを得たとは到底思えないのだ。

 

東日本大震災の「教訓」として多くの日系企業はBCPプランの導入を決めた。このBCPというのはBusiness Continuity Planの略で災害などが発生した時でも重要な業務や事業活動が中断しないように備えたり、万が一それらが中断した時でも事前に決定した復旧時間内に重要な機能を再開させ業務や事業の中断に伴うリスクを最低限に抑えるという措置のことを指す。

 

東日本大震災の後、こぞって企業が導入を決定したが筆者にはそもそもそんな有事の時の備えすら日本の大企業では備わっていなかったのかと目を丸くしたのを覚えている。

 

しかし、太平洋戦争の敗北については1984年に社会科学的に研究した本が発表とされ話題となった。今日まで名著として語り継がれている野中郁次郎氏をはじめとする執筆陣による「失敗の本質(中公文庫)」だ。

 

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この書籍では旧軍の失敗を構造的に分析し、見事なまでに現在の日系企業への警鐘を発している。

 

本書では後半の「失敗の本質ー戦略・組織における日本軍の失敗の分析」という章の中で組織と戦略の2つの側面から失敗を分析している。

 

中でも印象的なのは学習を軽視し結果より精神主義を優先した日本軍のあり方であり、場当たり的に(本書では「インクリメンタル」という表現が使われている)次々と戦術を生み出していく日本軍の姿だ。

 

陸軍は「白兵突撃」(銃剣を持って敵陣地に殴り込みをかけ近接戦で圧倒する)、海軍は「艦隊決戦」(日本近海まで敵艦隊をおびき寄せ、連合艦隊でもって一挙にこれを殲滅する)という日露戦争の成功体験から脱することができなかった。

 

たまたま上手くいったものはそれでもよかった。しかし、ガダルカナルやインパール、ミッドウェイのように致命的な失敗を構造的に集約することなく馴れ合いの人事を続け、成長を続けなくなった組織の姿は今の日系企業に当てはまるのではないか。

 

旧軍のように各個人は優秀であっても船長が成長しない人材だったり、そもそも船が泥舟では結局そうした優秀な人材も無駄死にすることになる。

 

筆者がサラリーマン時代、まさに高度経済成長期の価値観で「戦略」を策定し同期や元部下など人的に馴れ合いの組織運営が行われていた。グローバル化やダイバーシティーが叫ばれるものの、その本質は全くと言っていいほど理解されず高度経済成長期の価値観で推し量った「グローバル化」や「ダイバーシティー」に支配されていた。

 

それに異を唱える人間もおらず、言うだけ無駄、それはそれで「仕方ない」という空気に包まれていた。

 

噴出する問題も、そこから何かを学び帰納的に整理し構造分析することがなされてこなかった。場当たり的な対応に終始し、部署異動がそのうち来るから関係がないような対応も目立った。

 

高度経済成長期出身の経営陣が支配する日系企業はまさに日露戦争の成功体験に呪縛された旧軍の姿そのものだ。このまま「白兵突撃」や「艦隊決戦」を部下に強要するのだろう。その結果が今日の「戦艦」SONYや東芝「師団」ではないのか。

 

筆者がビジネスを行っている西アフリカでは言わずもがな「白兵突撃」や「艦隊決戦」などはもはや存在しない。ゲリラ戦である。突撃などしていたら後ろからインド勢は突っ込んでくるし、レバノン勢はスキをついてマーケットを奪っていく。そもそも既に陣地がインドネシア勢に占領されていたりする。

 

やれダイバーシティーだ、グローバルだなどというお題目も一切通用しない。そんなものは肌で感じてなんぼの話だ。

 

アフリカでも続々とビリオネアが誕生している時代。既に世界のいたるところで日本勢は劣勢を強いられている。知らぬは本土に居座る大本営のみという状況も太平洋戦争時と何ら変わっていない。

 

先の大戦のように滅びてから気づくのではなく、先の失敗から気づくべきなのだということを忘れてはならない。

 

成功は復讐する。