静かな夜にワインとビスマルクを

静かな夜に黙々と考えたことを綴ります。政治とかアフリカとか趣味とか…。

パリ同時多発テロが提起する教育のあり方

先日パリでは痛ましい同時多発テロが起きた。

 

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ISによるテロは断固として許すことができない。このテロは無差別な殺戮という実質的な暴力という意味とは別にフランスにおける社会的な統合への挑戦だとも言える。

 

ロンドンの同時多発テロや9.11を受けてヨーロッパの教育は「多様性の受容」に大きく舵を切った。

 

ドイツやイギリスで従来から行われていたシチズンシップ教育などでは異文化や異なるものについての理解を深める教育が進められた。従来のシチズンシップ教育は民主主義を守るために能動的なよき市民を育てるという点に主眼が置かれていた。

 

しかし、ロンドンのテロリストはイギリスにおけるホームグローンだったことなどを受けて、異文化の受容は社会統合においても重要な要素だと考えられるようになった。

 

今回のテロは「イスラム対ヨーロッパ」という文明の衝突論的な構造化を狙ったものであり、こうした異文化への受容というプロセスを通じて社会的な統合を図ろうとしたフランスの取り組みを外から踏みにじるものだ。幸い「I’m Muslim.」とムスリムが声をあげ、ISとムスリムは別のものであるという認識がフランスを始めとする先進諸国に広がったのはこれまでの「多様性」が広く根付いた証左なのだと思う。

 

しかし、フランスの同時多発テロは先進国の教育に新たな問題提起を行っているようにも思う。

 

教育という場が子供たちを育てるということがますます難しい局面を迎えている。

 

大人も容易に解決できない課題、社会の複雑さや予測不可能性は加速度的に大きくなり教える側も教える資格がそもそもあるのか大いに疑問視される中で日本がこの教育のあり方に一石を投じているようだ。

 

2011年我が国は未曾有の大震災を経験した。この震災を受けて福島大学、文部科学省、OECDが復興人材を育てることを目的に「OECD東北スクール」という試みを立ち上げていた。この試みは2014年9月で一旦幕を閉じることになるのだが、ここで育成された人材がOECDの教育局の目に止まったというのだ。

 

「OECD東北スクール」では2年半の長期にわたり中高生を対象としてOECDが21世紀に必要とされる能力を開発し、「パリで東北の魅力を世界にアピールするイベントを作る」というゴールが定められた。具体的な能力としては建設的批判力、企画力、実行力などを養うというものだったようだがプログラムを受講した中高生は立派に成果を出し、堂々とOECDの事務局の前でプレゼンをし賞賛を集めた。

 

力強く復興に資する人材であることをアピールした「OECD東北スクール」の卒業生たちが今後の先進国の教育のモデルになりそうである。

 

文部科学省では定期的にOECD教育局と政策対話を行ってきた。その中でOECDは共同問題解決能力(Collaborative problem solving skills)が2030年を見据えた中で教育に最も必要な要素であることを明言した。

 

その共同問題解決能力がしっかりと開発された例として「OECD東北スクール」の卒業生たちに注目しているとのことだ。

 

医療技術の進歩で女性の平均年齢は100歳程度になると言われる今日。

 

今を生きる子どもたちは確実に22世紀を生きることになる。2040年には人工知能が人間を超えると言われ、2000年からこの15年でも国家のあり方が大きく変わってきている。22世紀は加速度的に不確実性が高まっていることは疑いようのない事実だろう。

 

先進国の教育の明日を担う事例を日本がリードすることが果たしてできるのか、他人任せにしないという私たちの主体性が今試されている。