パナマ運河の拡張は日本再生につながる?! 〜太平洋の突破口が開く日~
今年パナマ運河は開通100周年を迎える。
ご存知の通り運河は船舶の航行に用いられ、海と海をつなぐパナマ運河はスエズ運河に並んで最も規模が大きく戦略性の高い運河だろう。
約70年前この運河の戦略性に日本も着目していた。
1945年、当時の世界情勢はドイツが敗戦を迎え、枢軸国としてはほぼ唯一日本が孤軍奮闘していた。
ドイツの敗戦で戦力の多くを欧州方面に割いていた連合軍の艦艇が太平洋に展開してしまう恐れがあった。この状況を受けて、少しでも太平洋での負担を減らすため日本が考えた苦肉の策がパナマ運河の通商破壊作戦である。この話には当時日本でしか建造できなかった戦闘機を内蔵できる超大型潜水艦が使用されたことでご存知の方もいるかも知れない。
こうした歴史を見ても物理的に距離と時間を短縮できる運河は非常に地政学的にも戦略的価値が高いものだ。
運河の開通から100年。事態は新たな局面を向かえている。
現在、既存のパナマ運河と並行する形で新たな運河の拡張計画が進行中だ。計画そのものは2007年に決定。2008年に資金調達で合意し、総額52億ドルの資金を要するメガプロジェクトだ。実は日本もこのプロジェクトに8億ドルほどJBIC(国際協力銀行)から融資している。このプロジェクトの完成は2015年12月。実際の稼働は2016年の1月とパナマ運河を監督するパナマ運河庁の担当官(パナマ運河庁液体バルク部門シニアマーケットアナリスト シルビア氏)から話を聞いた。
この運河が完成すると世界のものの流れが大幅に変わる可能性がある。
かねてよりこの場でも北米のシェールブームは世界、ひいては日本に大きな影響を及ぼすかも知れないと指摘してきた。
このパナマ運河の新規開通によって従来よりも大型の船舶を短期間で通行させることができるようになる。
カリブ海の北にはアメリカがあり、このアメリカは原油を解禁するかもしれない状況だ。アメリカは原油の輸出が法律で禁止されているものの、石油製品や液化石油ガス(LPG)の輸出は現行法でも可能だ。現在、パナマ運河を通行しアジアへ向かうLPGの量は増加傾向にあり2013年には238隻に達し過去最高を記録している。(前述パナマ運河庁担当官)
現在の予測では2020年にアメリカはシェールオイル・ガス生産のピークを迎える。ピーク時までにアメリカは原油解禁の方向で動くだろうから2020年までに日本をはじめとするアジアへの石油製品、天然ガス、原油が大量にアメリカから流れ込んでくる可能性は否定できない。
消費者にとってはガソリン価格の値下がりや暖房費の値下がりで恩恵を受ける人もいるかもしれない。さらに産業界にとってはエネルギーのコストが下がれば競争力は伸びる。実際、米国はシェールブームでエネルギーコストの低減が進んでおり、今後産業競争力が伸びると予測を出しているアナリストもいる。
現在、全体の約71%が完成しているというパナマ運河。
このパナマ運河の新規開通がひょっとしたら日本の競争力の向上に一役買うかもしれないのだ。もちろん世界的に見ても割高な人件費の議論なしに安易な予測は危険だが、少しでも日本にとって明るいニュースになればと願ってやまない。
日本の石油マーケットがレッドオーシャンになる日
欧州景気の先行きが明るくない。
ユーロ圏での景況感は持ち直しに転じたものの、依然銀行の貸し出し態度などは厳格化の傾向にありIMFの予測では欧州債務危機の前の水準に戻るのは2017年になるとの見方が出ている。
欧州景気の回復はまだまだ時間がかかりそうである。
景気の落ち込みはエネルギーの需要にもろに影響が出る。さらに精製マージンの悪化によって欧州の製油所の稼働率は減少してきており、ますますエネルギー需要が減少している。
さて、この欧州に一番エネルギーを売り込んでいるのがロシアだ。
ロシアは豊富な原油・天然ガスをパイプラインを通じて安定的に欧州に供給できるという強みを通じて欧州に対してビックプレイヤーの地位を築いていた。さらにここでの外貨収入は強いロシア復活のための財源となり、プーチン大統領のリーダーシップと相まって大国としてのロシアの復活を印象つけた。
しかし、それも今は昔である。
欧州のエネルギー需要が減少したロシアは国家収入が減少。収入確保のためのバイヤーとして中国と日本の存在感は日増しに増してきている。内需が旺盛な中国はもとより、日本にとっても距離的に近く生産量が豊富なロシアの原油・天然ガスはフレキシビリティーが高いためニーズにもマッチする。実際、中東の原油からロシアの原油への振り替えを行っている元売りも存在する。
ロシアにとって少しずつ無視できないバイヤーに日本はなりつつあるのである。
しかし、これを苦虫をかみつぶす思いで見ている国がある。米国である。
かねてここでも指摘してきたように米国の原油は今後世界に向けて輸出されることになるだろう。先日、ホワイトハウスでエネルギー政策に関わっていた専門家から聞いた話では米国の原油輸出解禁に対する国内の圧力は日々強まっており、実施されることはほぼ間違いないとのことだった。
今後、原油輸出大国になるであろう米国にとってマーケットへのアクセスが戦略的に重要になってくる。既存のメインセラーとしての中東、着々と日本に対する存在感を増すロシア、これらを追随する米国と日本というマーケットを舞台に三つ巴のマーケット争奪戦が展開される日も遠くないだろう。
余談だが日本の中東への原油依存度は88%前後。なぜ中東への依存度がこれほどまで高いのかというと日本の石油精製設備が中東向けの装置構成だからだ。原油は取れる井戸ごとや地域によって性質に違いがある。中東向けの装置構成を即座に変えることは非常に難儀だ。
ところが平成22年にエネルギー供給構造高度化法なる法律が成立した。これは単純に言えばこの中東向けの装置構成を変えなさいという法律なのだが、なぜこのタイミングでの成立だったのか曖昧である。物理的に中東以外の原油調達も可能にすることでポートフォリオを組んだとも言えるし、特定の国に対してマーケットとしての門戸を開いたとも言える。
いずれにせよ米国が原油輸出大国として日本のマーケットにアクセスしてくる日は近いかも知れない。米国がアクセスしてきた時、エネルギー面でも日米同盟を深化させるのか、ロシアと中東を含めてポートフォリオを組むのか今後のTPP交渉の先行きにも大いに注目したいものである。
食卓からグローバル化を占う
夕暮れ時たまにスーパーのレジ行列に並ぶことがある。
最近はどこのスーパーでも筆者の好きなミモレットというチーズが手に入るようになったのでこのチーズ目当てに並ぶことが多い。行列に並んでいる間、周りのカゴにはどんなものが入っているのか見るのが、アフリカ料理研究家でもある筆者の楽しみなのだが、カゴの中身にはがっかりさせられることが多い。
特に目につくのがお惣菜の山だ。
一人暮らしの男性だけではなく、子供連れの主婦がお惣菜の山を抱えていることが少なくない。
私ごとになるが筆者の母親も料理はドがつくほど下手だったが、不味いなりに家庭の味があったものだ。今でもたまに実家に帰れば母のぶきっちょな料理を食べて懐かしいやら、口が受け付けないやらで複雑な喜びを感じるものだ。ああ実家に帰ってきたのだなぁという一種の帰属心が芽生える。
ところが家に帰ってお惣菜ばかりを食べた子は家庭の味を知らずに育つ。家庭の味は自身のアイデンティティでもあるので家庭への帰属意識が育たない気がするのだ。家庭への帰属意識が育たない子供に地域コミュニティへの帰属意識など育つはずもなく、ましてや国家への帰属心など育つはずがない。
家庭からおふくろの味が消えた時、国家への帰属心は薄らぐのではないだろうか。
昨今、外資の参入の盛んなアフリカでは外食による伝統食の破壊が問題になっている。日清食品が進出するケニアではお手軽なチキンラーメンが現地の伝統的な家庭の味を奪い食卓でのシェアを伸ばしている。2012年時点で即席麺市場は世界的に1,000億食を突破しており、アフリカなどの新興国の所得水準の向上で更なる市場拡大が期待されている。特にケニアでは輸入品である即席麺が浸透しつつあり、5年後には年間2億食を突破すると見られている。価格的にも30~40ケニアシリング(約35~47円)であり、調理法も簡単なことから目下着々とシェア拡大中だ。
家庭からおふくろの味が消えた時、ケニア人の国家への帰属意識はどう変化するのか今後の動向には目が離せない。
食卓の全てがファーストフードやお惣菜になった時、人類は本当の意味でグローバルになれるんだろうか、そういうグローバル化は果たして正しいのだろうか。
フラット化しているといわれる世界の中でも自身のアイデンティティーが消えることはない。我々は世界に出れば日本人として見られる。そうした時、自分たちの国の料理も語れない人間が、アイデンティティー不在の人が世界で必要とされるだろうか。
日本の食卓から日本の行く末を考えた夕暮れ時であった。
都知事選挙がアメリカの代理戦争の可能性
小泉総理が脱原発を唱え、細川陣営に与した。
筆者はふと頭を抱えてしまったのだが、先日米国政治の有識者と懇談して謎が明らかになった。
筆者の理解はこうだった。
アメリカはGE(General Electric)をはじめとする原発推進国家だ。小泉氏が総理在任中、原発政策を容認したのはブッシュ大統領率いる米国政府との蜜月関係を維持するためであった。ところが小泉氏はあるタイミングから米国政府べったりの原発利権の推進者ではなく、脱原発を唱え細川氏と組んだ。
ひょっとしたら小泉氏は米国に嫌気がさし、真に日本に必要な政策を訴えるべく米国からの独立を志向し始めた。そのため、小泉総理は米国への反旗を翻し、脱原発に傾いたのだろうか。
しかし、米国をよく知る人はこう見ていたようだ。
民主党は原発推進派で共和党は石油・天然ガス推進派に区別できる。小泉氏はブッシュをはじめとする共和党との関係が強く、氏が脱原発を唱えたのは極めて自然。シェールブームの追い風を受けた米国では、このシェールを海外に販売するべく脱原発の流れを作りたい。そのための小泉氏の脱原発発言である。
「脱原発」をリトマス紙に、小泉氏が日本を憂う愛国老人なのか、相変わらず米国の代弁老人なのか理解できそうだ。ここで改めて答えを出すことは控えたいが、事実関係を確認したいと思う。
小泉氏は総理在任中の2005年10月、原子力政策大綱を閣議決定し、2005年度限りで太陽光発電の補助金を打ち切った。
まず原子力大綱の閣議決定だ。ここで小泉氏が原子力大綱の策定を積極的に主導したかが争点となるが、この大綱は1965年に策定された原子力開発利用長期計画の代わりにほぼ5年後にと改訂されてきたものだ。つまり、小泉氏が積極的に原発政策を推進したことの裏付けとして語られるべきものではなく、行政が流れ作業として策定し閣議決定したのではないかと考えられる。
次に太陽光発電の補助金の打ち切りについては、新エネルギーの根をあらかじめ絶っておくためと考えられるので、共和党の石油・天然ガス利権を守るためと考えられる。
さらに米国内の情勢を考えてみたい。2017年に選挙を控える民主党オバマ政権は政権交代し共和党に大統領の座を譲る可能性が高いと指摘されている。共和党候補が大統領になった時、脱原発の東京都知事が日本における脱原発運動を盛り上げてくれれば原発を削減した分だけ必要になるシェールオイル・ガスのマーケットとして日本は声を上げる可能性がある。
つまり今日本で起きている「脱原発論争」は、シェールオイル・ガスを日本に売りたい共和党(「脱原発」推進派の細川・小泉陣営)VS日本の原発依存を進めたい民主党政権(オバマ政権と日米同盟を堅持したい・「原発推進」自民党)の代理戦争とも言える。
舛添氏は脱原発を場当たり的に掲げたが、舛添氏を推す安倍自民党は原発の海外輸出や原発の再稼働に前向きであり原発推進派であることは明らかである。
共和党と民主党の対立から日本の政治も読み解くことができると考えると非常に興味深い。
とは言え、首都東京の知事を決める大戦である。前回の都知事選の62.60%超え、多くの人が都政へのコミットを表明すること、そして何よりその後の知事の行動を見守ることが今の政治混迷を止める唯一の道だ。ヒーローやトリッキーなマジックで政治は変わらない。候補者の地道な訴えにこそ耳を傾ける選挙になることを願いたい。
石油の世紀はつづく
米国上院エネルギー天然資源委員会のマウカウスキ議員(共和)は7日エネルギー輸出に関する報告書を提出し、その中で氏は原油輸出を禁じている現在の政策は非効率で原油供給の妨げになりかねないと指摘し、オバマ政権のエネルギー政策に見直しを求めたと日経新聞は報じた。
現在、米国の原油生産量はシェールオイルの増産により2013年には750万バレルと24年ぶりの高水準に達した。このペースが維持されれば米国エネルギー情報局の予測によれば2019年に961万バレルに達しサウジアラビアを抜き世界最高の生産量を記録するとされる。
こうした中で米国内の消費は経済成長の鈍化や自動車の燃費向上などのあおりを受けて頭打ちの状態が続いている。筆者が昨年末、ニューヨークで活動するエコノミストのフォーキャストを聞いてきたところ2014年の米国経済は好転し、拡大局面に転じるという見方があったものの情勢は不透明だ。
今後米国の原油政策が転換され原油が輸出されるかどうかは原油価格と中東情勢に大きな影響を与えることになる。2014年の国際情勢を占う意味でも非常に重要な意味を持つと考えるので予測してゆくこととしたい。
米国の原油輸出政策は、
(1)輸出解禁
(2)輸出解禁せず
という選択肢がある。
世界のパワーバランスに影響があるのは明らかに(1)である。
どの程度の解禁をするかにもよるが、解禁すれば既存の中東産油国にも影響が出る。現在、石油輸出国機構(以下OPEC)の生産余力は極めて低く米国の原油輸出が実現すれば中東産油国に恩を売ることができる。産油国にとっては自国の資源を温存することができるわけだ。
さらに、米国の原油生産量は2015年サウジアラビアを抜き世界一位になるという予測が出ており、今後中長期で大量の米国産原油が世界のマーケットに流れ出ることになる。
そうなれば現在OPECで行われているような生産量の調整が米国とOPEC間で行われることになろう。米国がOPECに加盟するかも知れないし、OPEC+米国という新しいエネルギー安全保障の枠組みが模索されるのは時間の問題だ。(OPECはその成り立ちが石油消費国への牽制、特にイスラエルを支援するアメリカへの牽制だったことを考えれば新しい枠組みの方が現実的と筆者は見ている)
現在、米国が産油国になることで中東への関与が弱まるという意見が日本では強いが筆者は異なる見解を持っている。
中東への関与が弱まるとする人たちは主に2つを理由に上げている。
1つめは産油国になれば自国原油で消費を賄うことができるようになるため中東からの原油輸入を減らせる。そのため、中東への関与を減らすとする説である。
2つめは財政の問題である。財政悪化のためそのしわ寄せが米軍にもおよび、世界的に米軍の規模を縮小していくとする説である。特にその中で1つめの理由とリンクして原油調達の必要性が低くなる中東地域は有力な候補だというわけだ。
まず1であるが、事実は逆であると思う。マーケットメカニズムを考えれば原油生産者は高値で原油が取引される状況が最も好ましいはずであり、値崩れを起こすような供給のまずしない。あれだけ多彩な顔ぶれのOPECも生産調整の努力をしている。米国が産油国として世界にその原油を流すようになれば中東との生産調整がおのずと必要となってくる。中東はパートナーであり、交渉相手にもなってくる。
そうした時、交渉相手に対して交渉カードは多い方がよい。むしろ関与を深めていくのではないかと思う。
2つめについてはアメリカのエコノミストの間ではすでに財政健全化への道筋は一服したとの見方が主流であり、これ以上の削減はないとみている。しかし、依然財政状況が厳しい米国は世界の警察としての力を維持したいというジレンマと闘うことになる。こういう状況で考えられるのは同盟国への「責任分担」だろう。
先日、2013年までホワイトハウスで大統領特別顧問を務め、現在コロンビア大学公共政策大学院教授でグローバル・エナジー・ポリシー・センター所長も務めるジェイソン・ボードフ氏の話を聞いてきたが、氏の見解も同じようなものだった。
米国は世界の同盟国に対し、負担の枠組みの変更を求めてくるだろう。
アメリカにとって日本の安倍政権の誕生はこのような戦略変更のはざまで誕生した実に都合のよい政権とも言える。
筆者は安倍政権の究極的な目標は9条改憲による憲法改憲であると思っている。つまり本質的には第一次内閣の時と全く変わっていない。
こうした世界の文脈変更の中で安倍政権が誕生したことは実に興味深いことだと思っている。
資源を持つ者と持たざる者の狭間で世界が激流に飲みこまれてゆく中、日本は持たざる者として鮮明な国家戦略が必要になってくるのは論を待たない。ハードパワーとソフトパワーを縦横に組み合わせて双方の中で独自のポジションをとれるよう、外交に問題意識を持ちたまには外を見てみる覚悟と勇気が国民に求められていると感じた年頭であった。
殿と新党
殿が都知事選に出馬するらしい。
小泉元総理との連携でにわかに勝算が増してきている。
細川元総理は政経塾出身の野田氏が総理の座に就くと相談を受けるなど徐々に表舞台に姿を現してきていた。昨年末には檀みつとの対談が注目を浴びるなど少しずつ世俗に復帰していた。ちまたの報道では野田氏が政権をとってから政治への関心が増したとされる。
今回の都知事選に殿がなぜ出たのか。
これが世間の最も関心のあることだろう。細川氏は都知事選の出馬を決めた際に妙なことを口にしている。「勝つか負けるかは重要ではない」。筆者はこの言葉に全てが込められていると思う。通常、選挙の候補者が選挙に勝つか負けるかが関心のないことなどない。関心がないとすればよっぽどの出たがりの泡沫候補くらいのものだ。選挙に出る以上は当選することが目標となる。
ところが今回の細川氏は当選には興味がないという。この発言を素直にとれば、選挙に出ることが目標ということになる。マラソンの参加賞ではあるまいし選挙に出るというのがどうして目的化するのか。
殿といえば1993年、55年体制が発足してから初めての非自民党政権の立役者として有名である。
しかしお方にはもう一つ顔がある。当時発足したばかりの松下政経塾の評議員だったのである。だから政経塾一期生である野田総理の相談に乗ったし、政経塾出身者とは少なくない接点がある。以前、松下政経塾新党構想(政経塾出身者で政党を作ろうという動き)があった時、殿を大将にという動きができたこともある。
今回の殿の出馬は政経塾新党の実現、ないしは野党再編のまえぶれではないかと思う。
76歳になった殿には政権を狙うつもりはおそらくない。政経塾の出身者がキーマンになって政界再編の流れを作るというのが今回の殿の腹ではないかと思うのだ。
今回の殿の出馬で「骨董品が出てきた」とか「老人の暴走」とか巷では騒ぎになっている。しかし、簡単には言い切れないウラがあるのではないかと見ている。都知事選後と平行して中央政界の動きも活発化してくるだろう。殿の動きが戦後の政治体制を再び変革する可能性は十分にある。今後の動きを見ながら良質な野党のチェックを忘れてはならないと思う。
コンプライアンス委員会は「非国民」のはじまり
今年は「常識(的)」なるものについて改めて考えてみたいと思っている。
巷ではもはや一般的な言葉になったコンプライアンスという言葉がある。筆者はなんでもカタカナにして、さも賢いふりをする日本人の姿勢には非常に批判的だしこの言葉について非常に懐疑的だ。
今やほとんどの企業ではこのコンプライアンスの遵守を自主的に義務付けており、コンプライアンス委員会という委員会を設置することで自らの企業活動を倫理的な側面から縛りをかけている。こういうカタカナ語はよく分からないのに分かった気になっているものだ。改めて調べてみた。
「コンプライアンス 一般的に法令遵守と訳され事業活動において法律を遵守すること、広くは倫理や道徳などの社会的規範を守って行動すること。」だとされる。転じてコンプライアンス委員会というのは不良社員の取り締まりやセクハラなどの組織内部の倫理観や道徳観を監視する一種のオンブズマンのような役割として設置されているようだ。
明らかなセクハラやパワハラ、社内のいじめなどには厳正に対処することで職場環境を適正化するのは重要なことだと思う。しかし、このコンプライアンス委員会が錦の御旗に掲げているのは倫理観や道徳というなんともいかようにも解釈されてしまう曖昧なものだ。
この「倫理観や道徳」というのが何よりの曲者である。
日本人は人と違うということに極端に反応する。道徳や倫理観というのは圧倒的多数の「常識」とされるものの積み重ねであり、圧倒的多数が正しいと考えていることだとも言える。極論を言えば、人と違ったことをしていることが道徳や倫理に反するとされることになる。数は力なり、まさに多数決の論理だ。道徳や倫理観などその都度、解釈が変わっていくものだ。江戸時代は皆がまげをつけるのが「常識」だった。今やまげを結っているのはお相撲さんくらいのものだ。
道徳や倫理観には恣意性が介在するといってもよい。さらに言えばコンプライアンス委員会を運用するのも人間なのである。人間のあるところに恣意性ありと言ってもよい。
前述のように明らかな「悪」(ここにも明らかな「悪」とする恣意性が存在するわけだが、本稿の主題はコンプライアンス委員会の役割を考えることに主眼があるのでご容赦願いたい。)、つまりパワハラによる職場環境の悪化や社員による殺人などの犯罪には厳罰を下せばよい。
ところがこの倫理観や道徳に反するという決定は解釈次第でいかようにも下せる。明確な基準がないものについては特にである。
先日、居酒屋でサラリーマンらしき人たちが上司の愚痴を魚にくだを巻いていた。聞けば「アホ部長は自らで意思決定できないしょーもないやつだ!」とのこと。よく見る日常の居酒屋風景である。
この話を隣で上司の社内の同期が聞いていたとしよう。この上司の同期がコンプライアンス委員会に通報したとする。通報を受けたらコンプライアンス委員会はまず調査に入る。コンプライアンス委員会を構成するのは通常第三者、つまり会社とは何の利害関係も持たない人だろう。しかし、この第三者が部長をアホ呼ばわりし、あまつさえしょーもないやつ呼ばわりするとは、なんて道徳的に問題のある社員だと判断すれば、酒の席で上司の愚痴を言っていた社員は処分されてしまうことになる。
コンプライアンス委員会の良心は第三者の道徳・倫理観となる。
「倫理・道徳に照らし合わせて問題」と恣意的に決めつけ、社員を一方的に処分を下していく姿は「非国民」を乱用し集団がやがて崩壊に向かう戦時中の日本を彷彿とさせる。実に気味が悪い。
コンプライアンスとは一体誰にとってのコンプライアンスなのか。明確な法令違反はともかく、コンプライアンスを構成する「常識」など普遍的なものでないことなど常識なのだということに気付くべきだ。
こういうご時世、都合のいい解釈の犠牲にならないよう普段から「常識」は疑ってかかるという姿勢が重要だと思った年頭であった。